土居廓中・武家屋敷

安芸城跡

 安芸城跡は、市街地から約2㎞ほど入った土居にあります。安芸城跡は安芸氏代々の居城跡で、ここに初めて城が築かれたのは鎌倉時代の延慶元年(1308年)頃で、戦国時代末期まで安芸氏はここに居住していました。しかし、四国統一の軍を進める長宗我元親との合戦に敗れ、当時城主の安芸国虎は自殺し、家臣は四散しました。

 城は、東北に安芸川があり高さ50mほどの小さな丘に築城され城内の広さは1.8ha程度。落城のとき長宗我部勢は安芸川を隔てた城の背後の丘から火矢を攻撃したため、その際に城は焼失しましたが、城内跡地に合戦の際に内応した者が毒を投げ入れたと言われる井戸が今に残っています。
 城外をとりまく土塁、濠、大手の枡形の石組は昔のまま残されています。また、山内一豊が土佐入国とともにこの城跡に入った五藤氏が築き、昭和44年に安芸市の文化財に指定された館も城内に残っています。

土居廓中と武家屋敷

 土居廓中は現在も武家屋敷が今に残っています。昔のままの町並みに竹やうばめ樫の生垣に囲まれた武家屋敷があり、今もひっそりと当時の風情を残しています。現在残っている建物の中で古いものは天保ごろ(1830年)と推定され、武者隠しといいう3尺程度の壁をもち、玄関脇の平次門を入ると小さな庭があり、その先は菜園となっています。
 土佐藩家老の五藤氏が安芸城跡に入ってから次第に廓中の町並みが整備され、それぞれの役割に応じた屋敷が与えられ、現在に残る廓中武家屋敷が成立したと伝えられています。

 藩政時代は、農民も商人もこの一郭には居なかったと言われ、明治以降も廓中に入るには頬被りや鉢巻はとったと言われています。

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